2008/09/24

つかの間の帰郷

今日これから、日帰りで横浜へ帰る。
以前ここにも書いたおじさんが
亡くなったのだ。

自分に余命宣告がつき
自ら最期の病院を決めておく
元気なうちに親戚でお食事会をする

改めて冷静だったなと思う。


自分に余命宣告が出たら
知らせて欲しいか否か

そんなことをずっと前に
一歩くんと話したことがある。

そのときの答えは
一歩くんはYesで私はわからないだった。

でも、こんなふうに準備が出来るのなら
自分の命の期限を知ることも
悪くはないような気がした。

勿論、それはおじがその事実にきちんと向き合い
きちんと努力をした結果の今だと思うけれど。

そういう道筋をつけたおじは
立派だったと思う。


一歩くんのお父さんをはじめ
私達のまわりでも何人かの人が
癌という病気で亡くなっている。
 
自分の死を考えるという意味では
まだまだ、せいぜい生保に入っているぐらいだけど
確実に人は死ぬ

自分や、一歩くんにそのときが来るとき

それまでどう生きるか
それからどう生きるか

人生80年だとしたら
そろそろ折り返しに来ている私達、

そういうこともそろそろ
考え始めたほうがいいような気がした。


おじとおばはとても仲がよく
またとてつもなく明るく社交的で
いくつになってもお洒落に気を遣う
とてもインパクトのある
そういう夫婦だった。

あんまりしんみりするのもがらじゃないだろうし
ましてやうちのきょうだい
(ミナカミのきょうだい+そのつれあい)は
受付や、葬儀のお手伝いという
大役を授かっている。

しっかりと、働いてこよう。
 

     *     *     *     *     *     *     *     *

昨日はその葬儀の打ち合わせの電話と
結婚披露パーティーの打ち合わせのメールと
それとはまた別の入籍報告で
 
冠婚葬祭色のえらい強い一日だった。

葬儀の話をしながらの
『乾杯の音頭をお願いしたいんだけど』メールは
とても不思議な感じで

ついでに乾杯の音頭なんて
年配者がすることじゃない~?って
つまりは自分が年配者なのか^^;と

年齢を感じてみたり。


一見正反対のことだけれど
結婚も死も人生の流れのひとつ。

| | コメント (0)

2008/07/26

故郷がわからなくなる

桜木町駅。

とても古い駅で広々とした吹き抜けがあった。
その向こうに改札があり
階段を上るとホームがある。

ほんの少し歩くと海がみえるけど
その前に広がっていたのは確か
貨物駅のような
そんな雰囲気のどちらかというと寂しげな
アスファルトの割れ目から伸びる緑色の雑草。

駅のスタンドの生ジュースが好きで
多分、あれは桜木町で
東急東横線に乗り換えたのだろう、

その度に桜木町駅でイチゴジュースを飲んでいた。

多分30年ぐらい前。


井上○水の詩の世界が好きで
『傘が○い』の新しいPVを観た。

『傘○ない』はとても好きな曲だ。
寂しげだけどどこかシュールな
"落としどころ"が好きだ。

オダギ○ジョーに目が行っていて
全然気づいてなかった。

あのPVは桜木町駅だ。


桜木町はまた駅前に何か作っているのか
工事中のクレーンが見えた。

見覚えのない場所に歩道橋らしきものがあった。

人が沢山居た。


桜木町は今や横浜の新名所で
どんどん街の景色が変わり
地元出身でも地元に住んでいない限り
だんだんわからなくなっていく。

根本的に本町から続く
道も大きく変わったしまった。

横浜を出て、11年目。


「帰ろうかな。」

一歩くんが今日は社員旅行だから
昼間ふとそんな考えが頭をよぎった。

故郷をふらふらと歩いてみるのもいい。
どんなに景色が変わっても
道が変わっても私には土地勘がある。

本町に勤めていた頃
2駅隣の駅が最寄の実家まで
よく歩いて帰った。


どれだけ変わったのだろう、
 
ごみの捨て方が変わったり
近所の人が亡くなったり
新しい家が出来たり
そういうことは知ってるけれど

ほんとうのところ横浜はどのくらい変わったのだろう

多分もう生涯暮らすことのない
私の故郷。

PVを観てそれが桜木町だと
最後まで気づかないなんて

私ももう横浜人ではないのだろう。


でも心の奥底では
いつまでも横浜人で居たいと思う。

来るもの拒まず、去るもの追わず
あんまりここの土地にはそぐわない人種だけど

そういう土地に育ったことを
誇りに思い続けたい。

一歩くんが愛知に来てもうすぐ20年
今でも自分は"宮崎人"だと思っているように

私もいつまでも"横浜人"であり続けたい。

| | コメント (2)

2008/02/24

獅子舞

獅子舞
 
横浜の散歩道
ショーウインドウの中に
見覚えのある獅子舞を見つけた。

「そういえば旧正月だったんだな。」

横浜に暮らしたときには気付かなかったことに
一年の半分近くを広州で暮らす
一歩くんと暮らして初めて気付いた。
 

一歩くんと毎日一緒に居る日々はもうすぐ2ヵ月。

そろそろ、期限がつくのかな。
…そんな風に考え始めた冬の晴れ間の日曜日。
 

でも、今迄と大きく私が変わったことは

一歩くんとの別離が寂しいだけではなく
一歩くんがまたあっちで暮らす日々が始まるのなら

私はまた、広州に遊びに行きたい。

言葉や道で苦労しながらも
見知らぬ広州の街を一歩くんと一緒に
そして時にはひとりで
 
広州の街を歩きたい。

 
First Seasonのブログはコチラです♪ このブログのTOPに戻ります。バナー貼って下さる方大歓迎♪右クリックでお持ち帰り下さい☆ ミナカミ家の旅の記録

| | コメント (0)

2007/11/13

私にはノスタルジックですが…

昨日はあほぅな記事を書きましてスンマセン…。
たまにはそういう日も必要でして

ということで何とかデザインの方は
一発OKを貰えまして
細かい微調整をしたくらいで
あとは印刷を残すのみとなりました。

賀状も古いしきたりになりつつある部分も
絶対的にあるとは思うのですが
長いものには巻かれろ
どうせ作るなら好きなもん作ろうということで
作ってしまうと配りたいのが人の性(笑)。

今回は写真にしました。
で、各地で撮影したものを
ぼーっと見ていたら

こんなもんが出てきました。


Img_0921_2

地元以外の方でこの橋をご存知でしたら
多分あなたは心霊マニアですね。

横浜の打越橋です。


小さな頃の怪談話では
ほんとうに色々なことを聞きました。

「女の人が飛び降りようとしていて…。」
「人が飛び降りる度色を塗り替えるから錆びない。」
「夜、下を歩いていたら声が聞こえた。」
「飛び降りる人は皆、○○町側に飛び降りる。」

確かに私の幼少の頃は
橋の色がよく変わっていたような気がしますが
最近変わっていませんね。

でも一応歴史ある橋なんです。
昭和3年竣工。

下の道は見ての通り切り通しです。
下に道を作ったので橋が架かった。

そして下の道には市電が通っていました。

この橋が出来たばかりの頃の写真を
学校の授業で見た記憶があります。
 
写真の中の歩行者との時代は差はものすごく感じるのに
回りの景色は変わらない、そんな印象を持ちました。


そう、小学生の頃
たまたま暗くなってからこの下の道を
通る機会があったのですが

橋の真下のお地蔵さんの首が無くて
びっくりして逃げました!!!

暗がりだから目の錯覚とか
もしかして…と思ったのですが
後日確かめに行くと
実際に首が捥げていました。

それからしばらく時間が掛かり
首から上は再建(?)されました。

ただ、昔からあの場所にお地蔵さんがあった訳ではなく
確か…25~28年前に突然建てられたものなので
どういういきさつで建てられたのかは
私には知る由もありません。

そして首が捥げたのは
お地蔵さんが建てられてまだ数年の頃。

何で捥げたのか理由もわかりません。
(確かガードレールはちゃんとあったような…)



TVやネットで有名な心霊スポットになり
地元民としては少々びっくりしています。

確かにそうやって地元では
語り継がれる怪談話のひとつではありますが
学校の怪談というのは
なにもそこだけではなくて

例えば根岸の競馬場跡なども
ある意味子供には心霊スポット的な存在でした。

そちらも廃墟の方には有名になりましたし
なんだか不思議な感じがします。

また、確かに過去にはここで
命を落とされた方は沢山いらっしゃいますので
興味本位もどうかとは思います。

とは言え二十ン年前の地元小学生には
ここを含めた数箇所は絶好の肝試しのコースでして
自転車で夏の夜、ハシゴした懐かしい思い出があります。

後ろに乗せてくれたシンゴちゃん、元気かな。


ちなみに私には霊感のれの字もありません。
大人になれば夜中お地蔵さんの脇に車を停めて
平気で長話をしたものです。^^;

First Seasonのブログはコチラです♪ このブログのTOPに戻ります。バナー貼って下さる方大歓迎♪右クリックでお持ち帰り下さい☆ ミナカミ家の旅の記録

| | コメント (0)

2007/04/22

犬好き一家、猫を飼う

やっぱ私の生家って…

いやぁー、猫って本当にスゴイですね。
里帰りしてほんとーにびっくりしました。

まさかあの大の犬好き一家が
結果的にとはいえ、猫を飼っているなんて。
 
猫用のオモチャも多数買い揃え
まるで赤ちゃんでも我が家に来たかのように
家族(40歳以上の大人4人)は振舞っているのですが
それでも尚
「これって飼ってるっていうのかな?」
そう私に訊ねるウチの母には大爆笑。

飼ってなきゃ、猫のオモチャはないでしょー。

そうそう、もう一度最初から説明しますが
このウシネコさん、正確に言えば
我が家が猫を飼おうとして飼い始めた訳ではなく
ウシネコさんの方が我が家を気に入って
暮らし始めたのです。

事の発端は一年以上前。
いつの間にか我が家の玄関前が
とある野良猫さんの寝床になっていましたとさ。

あんまり毎日ウチの前で眠るので
寒かろうと母が寝床にタオルを敷きました。

17年近く一緒に暮らしたウシイヌくん
(本当はイングリッシュポインター)が亡くなった後
ウシ柄の猫さんがウチに来るようになるなんて
母もそのまま放ってはおけなかったのでしょう。
 
そんな我が家の匂いを察知したのか
そのうちドアの開いた隙に玄関に入ってくるようになり
それでは飽き足らず2Fのリビングの窓に直接来て
窓をノックするようになり

ウチが定期巡回ルートになり
昼寝をしていくようになり
ゴハンもたらふく食べ、夜も眠り
すっかり我が家に居つくようになったのは今年に入ってから。
 
勿論今でも昼間に少しだけ外に遊びに行くそうですが
すぐにウチに戻ってくるし
今じゃ両親の布団でウシネコさんも眠っています。

「まるで犬。」
犬しか知らないウチの家族はそういっています。
(猫だって布団で寝る子も居るんですけどね~)
むしろ大型のイングリッシュポインターと添い寝していた方が
猫と寝るより驚異的なことなのかもしれませんが。

 
野良猫が自らの意思で飼い猫になる。

…犬好きには予想だにしていなかった
驚愕の野良猫の生態です。笑

生粋の野良猫はあまり人が好きじゃないのかと思っていたけれど
そういうネコさんばかりじゃないのね~。
 
ウシネコさんは私が猫の扱いに手馴れているのを
すぐに察知したみたいで
ゴロゴロと甘えまくるし
夜中に”えさくれニャ~” ”遊ぼうニャ~”を連発しています。
 

ところで、この子はこの辺りでは人気の野良猫さんで
近頃通りがかりの方々から母はよく訊かれるそうです

「ここによくいた白黒の猫、最近見かけないけど…。」
母「ウチのソファーで寝ています。」

…(^^ゞ。

本人(猫)の意思で暮らし始めるって
ウシネコさんにとっては幸せなことだしまぁいいか☆

そしてウチの家族もウシネコさんにデレデレで
皆幸せぇーなカオしてます。笑
 

First Seasonのブログはコチラです♪ このブログのTOPに戻ります。バナー貼って下さる方大歓迎♪右クリックでお持ち帰り下さい☆ 一歩くんのフォトアルバムです

| | コメント (4)

2007/04/21

やっぱ私の生家って…

やっぱ私の生家って…
久しぶりに実家に帰って来てみたら
家に遊びに来ていたウシネコさんが
すっかり我が家の住人になっていた(^^;)(;^^)

リビングにはネコさんのお皿が並び
「ちょっとあんた誰~?」位の顔でこちらを見る。
…確かにこの子にとって私は客人に違いないだろうな。

16年連れ添ったウシイヌくんが亡くなって3年
犬好き一家がネコを飼うとは予想だにしていなかったけど
「結果的に飼ってる」
そんな飼い方もネコにはあるのかと

…何だか面白い。

| | コメント (2)

2007/02/24

兆し

今日で会社のバイト君がひとり"卒業"した。
「つまらないものですが…これからは宴会で遊びに来てね。」
と、のしをつけて渡した就職祝いの中身は
真っ赤なアフロのヅラ。

今頃家で「何考えてんがやぁ~!」と叫んでいることだろう。
 

そういえば、今宵は私の就業時間を知ってか知らずか
(というか知らないはずなんだが)
タイミング良くタイムカードの前に立った夜11時に
電話をかけてきた男が居た。

私の幼馴染で初恋の人、K。
今じゃ少々髪も薄くなり始めているが(笑)
久しぶりの電話の向こうの声に
私もすっかり昔のよく遊んだ頃の気分に戻った。

「おぅ!元気ぃ?今横浜に居るの?」
転勤族の彼は現在首都圏に戻っている。
超美人の奥様とふたりの子供に恵まれ
今は千葉に住んでいる。

初恋とはいってもそれは幼少の話で
中学・高校と違う学校だったけれど
その後フツーに飲み友達(あれ?)?・悪友?で
20代半ばまでは顕著に遊んでいた。

それもいつも突然電話が掛かってきて
しかも某日本海側の土地に住んでいた頃でも決まって
「おぅ、俺今横浜帰ってきてんだけど。」

今宵もそのノリだったに違いない。
だけどいくらタイミングが良くても私は愛知に居るんだって!

二次会の地元の飲み屋の
演歌のようなカラオケの大音量の中
ヘベレケに酔っ払っている向こうの世界へ
今は簡単に行けないのを少々悔やんだ。

かわんないなー。
相変わらずバカ全開だぜー。
 
 
ここ2年、20人程度の同窓会のような飲み会が
地元では続いていたけれど
大集団の中では色々と揉めたりした事もあったらしく
ここのところそちらは休眠状態だった。

私と、その彼は
横浜に住んでいないこともあり
参加はあまりしていなかったけれど

そろそろこっちも復活の兆しなのかな。
今週は横浜の友人とばかりしゃべっていたような気がする。

そして金曜日がオマイか!笑
飲むならせめて昼間に呼べ!
電話されてもこの時間じゃ到着は早くて2時半だって。

先に呼んでくれりゃ会社ズル休みしたのに(多分出来ないけど)。


懐かしい思いが胸をよぎる。

Kが大学卒業して就職して
横浜を離れることになったとき
相変わらず夕方突然電話してきて
「俺、離れることになったからよー。」

鶴岡八幡宮の夜桜の道を歩き
ハイランドでビリヤードをして
朝まで遊んだ。

浪人して大学合格したときには
「俺もこれからは少しはオシャレに」と
横浜そごうに買物に付き合わされた。笑

地元の某廃墟の有る公園の芝生に座り
他愛もないことでしゃべっていた。


あー、福富町のクライスラー行きたいな。
この彼を含めた数人の飲み会のシメはといえば
絶対にクライスラーだった。
何でそうなったんだ?
あ、地元遊びの激しい(?)T氏のお陰か。。。笑

古き横浜の匂いを残す
横浜の横浜らしい場所で育った私達には
横浜らしい場所。

ボウタイをしたおねえさまがとても素敵だ。
変わらずカウンターにいらっしゃるのかな?

久しぶりに横浜へ帰りたくなった。
 

私は街の子
今暮らしている場所から比べると大都会な横浜も
私には郷愁を感じる場所だ。

どんな都会でも、私にはふるさとだ。
光の当たらない裏通りの風景でも
私にはとても懐かしい。

少しだけ横浜へは戻れない運命を選んだ自分を恨む。笑
ふるさとを差し出して私は
一歩くんという大切な人と歩む人生を選んだけれど
こんなときちょっと寂しくなる。

だけど絶対的に毎日が楽しいことも知っている。

私は西へ西へと流れゆく。
それもまた運命で

何処へと流れていくのかな
一歩くんと一緒にいつかは宮崎まで流れるのかもしれない
けれど一歩くんは小値賀だと言っていた。
確かに宮崎よりも西だ。笑
 

野崎島から帰ってきたら今度は里帰りでもしようかな。
汚れた横浜のグレーがかった青空でも

私には、ふるさとの空だから。


でさ、K!
次はいつ横浜帰って来るの?

それに合わせて帰るからさー
もう一回帰ってきなよ!

くれぐれもTやS達と飲むって言っといてな!
誰かさんは学生時代から
「みなみ達と飲んでくるから。」と言って
私は未だ?奥様に睨まれてるっちゅーに。笑

大体さぁ~何でそういうときに真っ先に男子の名前言わないの?
それってデリカシーなさすぎだよ。笑
女なんて私ひとりだって時でさえそう言うからさー
そりゃ怒られるわーきっと。

ってか、いつもの王道パターンで呼び出すなんて
(呼ばれても愛知からでは30分じゃ行けないけど)
…もしかして転勤か?

*     *     *     *     *     *     *     *     *     *

前述の赤アフロを買いに行ったとき
"工藤ちゃんになれる帽子+ヅラ"を見つけて
松田勇作好きの私としては買わずには居られなかった。笑

ふざけたモンをプレゼントしたが
これでもマジで感謝してるんだって!
この半年、大いに助けられたし学ぶことも多かったです。
こちらこそありがとうございました。<(_ _)>

丁度K達と遊んでいた頃の
あんな時代の真っ只中。。。

あー工藤ちゃんになれる帽子被って
バカ全開が集う夜の横浜に登場したい!

今宵の私はだいぶテンションが変ですが
風の強い冬の終わりの夜
色々なものごとで何かの兆しを感じています。

 
ところで、過去に愛知在住非県民では
八方と野崎島でサンタになった写真を掲載していますが
実は他にも長髪ヅラで登場したり
アフロは黒髪と金髪、ハゲヅラにメイドに。。。

各地で前科の多い私です。


あっ、そうだ帰ってきたら一歩くんを軽く工藤ちゃんにしよ。
ライターの火力は全開で!

First Seasonのブログはコチラです♪ このブログのTOPに戻ります。バナー貼って下さる方大歓迎♪右クリックでお持ち帰り下さい☆ 一歩くんのフォトアルバムです

| | コメント (3)

2006/09/28

私の育った風景

根岸競馬場
 
根岸競馬場一等観覧席。
J.H.モーガン設計昭和5年の建物。

目の前に聳え立つその姿は
廃墟とも言えず大切にもされず
不思議な時間を過ごしてきたようだ。


近くて遠かった風景
有刺鉄線の向こう
朽ちて行く建物

ガラスの割れた窓枠
蔦のカーテン
その姿をただ見ているだけ。


授業中私はいつも眺めていた。
有刺鉄線の向こう
近くて遠いその世界に取り残された建物。


向こう側は日本ではなかった。
 
 

根岸競馬場 根岸競馬場
根岸競馬場 根岸競馬場
根岸競馬場 根岸競馬場
 

返還された今も微妙な位置に聳え立つ。
観覧席の向こう側には入ることは出来ない。

その向こうは今も日本ではない。


老朽化が進み
観覧席の屋根は取り壊された。

間近に見ることは出来ても
その中に入ることは出来ない。

一緒に建っていた建物はとうに取り壊されいる。


窓枠には波板のような物が張られ
このまま朽ちて行くとも
それとも綺麗になるとも言えない。

この先この建物がどうなるのかわからない。



久しぶりの横浜
忘れかけた子供の頃の抜け道
一歩くんを連れてこの建物の在る公園へと向かった。

あの頃の有刺鉄線の向こう側
今では一部が返還されていて
少しだけ道が変わった。


一歩くんはこの風景を不思議だという。
確かにこれは不思議な風景なのかもしれない。

建物の隣に今も有る柵の向こう
何か激しく話す英語が聞こえる。

だけどこれが当たり前に過ごしてきた
私の育った景色。



朽ち果てることもなく
かといって手入れをされる訳でもなく
ひとつの建物が横浜に今も尚聳え立つ。

願わくばこれから先も
この建物はここに在って欲しい。

決してそれが手に届かなかったとしても。

これが私の、育った風景だから。




【オマケ】これも私の育った風景↓

Img_0902


  *画像はクリックで拡大します。
【photo by IPPO minakami】

First Seasonのブログはコチラです♪ このブログのTOPに戻ります。バナー貼って下さる方大歓迎♪右クリックでお持ち帰り下さい☆ 一歩くんのフォトアルバムです
   
   

| | コメント (3)

2006/07/22

里帰り

ドアを開けると猫がお出迎え。
…んっ?ちょっと待った
この子はうちの子になってるの?

私の帰宅を野良猫が出迎える
ファンキーな私の生家です。


そう、今は横浜に居ます。

この子は我が家では「クロ」
野良ですが家によく来ます。
今日も私を出迎えた後はリビングをうろつき
階段を上ってぼけぼけとしていました。

私は下町の育ちです。
家の前には八百屋さんがあり
歩く人々の話声が開け放した窓から聞こえます。
野良猫が家の中に居ても普通に思ってしまう
そんなおおらかな雰囲気の場所です。
 
ベランダにはゴーヤがつるを伸ばし
小さな実がぶら下がっています。
意外と風通しが良いので夏は窓に簾を掛け
家の会話も外に全開です。(^^ゞ
 

今日、母が浴衣を買ってくれました。
濃紺地にぼかしの花柄で

早速一歩くんに写メすると
「すごく いい」と即答で返信が来て
母、大爆笑でした。

明日愛知に帰ります。
そしてまた浴衣で空港にお迎えです。(^^ゞ
 

一歩くんが帰って来ます。
 
 
 

First Seasonのブログはコチラです♪   このブログのTOPに戻ります。バナー貼って下さる方大歓迎♪右クリックでお持ち帰り下さい☆

| | コメント (0)

2006/07/07

本が届く

『PASS#2(ハマのメリーさん)』が届いた。

メリーさんが居る
普通の関内や伊勢佐木町
日の出町のモノクロームの写真達に
思わず涙が溢れてしまった。

気がつけば横浜を離れてもうすぐ10年になる。
その後は川崎に居たのでさほど遠くもなかったけれど
更に離れて2年も経てば
横浜はどこか遠くの
思い出の夢の街のように思えてならない。

今日もそこにある
当たり前の関内駅前の横断歩道の風景
そんな”ありふれていたはずのもの”に
今は深い郷愁を感じる。



これから先、きっと暮らすことはない横浜の風景。


故郷は暖かい。
横浜はご存知の通り光と影の街で
観光地でもあれば深い闇もあるような
故郷らしい場所ではないけれど
私にとってあの風景は暖かい。

何もかもを寛容的に受け入れてしまう、不思議な街。


私はこれから先
こんな想いを心に潜めて生きてゆくのだろう。
当たり前にそこにあった横浜の街

今は遠き、横浜の街。


鮮やかだった横浜の記憶から
どんどん色が抜けて
今はモノクロームになりつつある。

ちょうどこの本の、写真のように。



裏通りを歩く夢を見る。

First Seasonのブログはコチラです♪   このブログのTOPに戻ります。バナー貼って下さる方大歓迎♪右クリックでお持ち帰り下さい☆

| | コメント (0)