2009/03/07
2009/03/06
2007/02/08
不在連絡票~ポストに入っていたものは
仕事帰りの深夜
真っ暗な部屋のドアを開け
足元に散らばっていたのは
いくつかの封筒。
北海道からは大夕張ご出身のTさんの手紙。
それから雑誌が一冊
実はHEYANEKOさんからのご紹介で
先日某誌に夫婦揃って掲載された。
実名で掲載されているので
この場では誌名を伏せておきますが。
そしてもうひとつ…
黄色い色の"ご不在連絡票"。
宛名は一歩くん
二つ折りにされたその紙を
そっと開いてみると…
お母様からの荷物だった。
ご存知の通り
祝福されない結婚をした私達は
一歩くんのお父様が他界して尚
認められないままで居る。
偽名を使い受付として参加した私のことを
一歩くんの妻だとは
お母様は未だに知らない。
お父様亡き後、何かがまたおかしくなり始めた中で
彼はほとんど一人で遺品というよりは家を片付け
新盆が過ぎ
それから再び
家族とはほとんど連絡を取らない生活を送っていた。
まだまだ色々な事情はあるので
そのときだけ、最低限の連絡を取るだけで。
気になっていた。
お父様の病気を期に
絶縁状態のようだった親子は久しぶりに繋がった。
私との結婚のことは置いておいて。
私はそれで良かった。
ご両親に祝福されない結婚でも
もうしてしまったのだからそれで良かった。
そこに至るまで沢山の出来事があったけれど
仕事環境が変化するにあたり
それでも入籍しようと一歩くんが決めたのだから
私はそれで構わなかった。
一歩くんのご実家の敷居は一生跨がない。
だけど親子は親子として繋がっていて欲しい。
そう、唯一兄弟の中で大反対しているお姉様とも。
たとえ一歩くんに納得の行かないことがあれど
ご両親で、お姉様であることに何ら変わりは無い。
解り合えなくとも他人ではない。
だけど強情な(笑)一歩くんのご家族は
そこで誰もが互いに譲らないまま。
案の定、お父様が他界し
色々な身の回りの整理がつくと
一歩くんはまたダンマリを貫き始めた。
お母様からも連絡は無かったみたいだ。
途中、お兄様とは何度か連絡は取ったみたいだけれど
それきりで…
気になっていた。
何が何でも私と生きて行こうと
数々の苦難から一歩くんは私を守ってくれた。
私を愛知へ呼び寄せ
何人たりとも私に触れさせなかった。
宿命・運命だと思っていた重い何かを
一歩くんは全力で払いのけて
私をただただ守ってくれた。
だけど幸せになればなるほど気になる。
たとえ理解されなかったとしても
一歩くんのお母様は
一歩くんとこじれたことで
どれだけ寂しい思いをしているのだろう。
たったひとり、宮崎で暮らしているお母様。
だから私は手紙を書いた。
一歩くんの名前で
一歩くんの写真に一歩くんの近況を入れて
プリンターで印刷した。
これなら私の匂いは薄れるだろう。
そして雑誌に付箋を貼って封筒に入れ
宮崎へと送った。
それが5日前。
5日後の不在連絡票。
日曜日を挟んで
お母様は間違いなく
手紙を受け取ったその日に
何かを愛知に向けて送ったのだろう。
中身は何か分からない。
品物の中身を表すチェック欄には記入が無く
もしかしたら雑誌をそのまま送り返した可能性も
未だに無い訳ではないけれど
だけどきっとお母様は嬉しかったのだろう。
だから何かしら一歩くん宛てに送ってきた。
明日の昼、出勤の前に荷物を受け取って
不器用な息子はお母様に電話を掛けるのだろうか。
ほんとうは一歩くんよりも
お母様の方が不器用だ。
「何も知らないから。」
知らないで生きてこれたのであれば
それはまた幸せなのかもしれない。
色々な経験を積み重ねた私は
知らなければ生きてはこれなかった。
一歩くんに出逢うまで
ひとりで立ち向かい、自分の身は自分で守るしかなかった。
もしかしてそれだけの差なのかもしれない。
猛烈に反対されようが
それは私にとっては今やどうでも良いことで
「親父だけには認めて貰いたい。」
そのお父様は天国へ行ってしまった。
一歩くんの願いを叶えられなかった事実だけが残った。
もう、それだけでいいよ。
お母様のこと、もう少し大事にして。
私とて、生まれ育った環境が違えば
考え方が違う私に育っていたのかもしれない。
ほんとうは紙一重のことなんだと思う。
だけどひとつだけ言えるのは
人は元々相手を100%理解することは出来なくて
その中で折り合いをつけて生きているということ。
それが出来ない人もいるということ。
たったそれだけの差なんだと思う。
だから一歩くんは
自分の思いを認めて貰えなくても
そんな相手を認められる
そんな息子であって欲しいな。
一歩くんと私は夫婦なのだから。
誰が何を言おうと
夫婦なのだから。
2006/07/20
誰も居ない小学校
串間市立赤池小学校
明治42年開校、平成6年閉校。
お葬式の後、私はひとりここを訪れた。
日向大束駅脇の道を入り
それからひたすらまっすぐと車を走らせて行く。
喪服のままゆっくりと、初めての道を走る。
そういえば宮崎に来ると
私はいつもひとりで車を走らせているような気がする。
仕方がない、私は結婚を反対された相手だ。
先に鳥海くんから
赤池小学校の場所を教えて貰っていた。
「右カーブの右上だから。」
不思議そうな顔をして、鳥海くんは地図を書く。
右カーブの途中、細くて急な坂道がある。
…これかな?
車で入ってもいいのかな。
え~い、行ってしまえ。
崖の上の小さな学校は
立派な鉄筋コンクリート2階建て。
閉校後特に使われている様子もないが
その校舎は閉校したとは思えないほどに綺麗に
そのままの状態で残っていた。
校舎の隣には真新しい体育館といくつか部屋のある
新しい建物が建てられていたが誰も居なくて鍵がかかっていた。
しばらくまわりを歩いた。
赤池小学校にはかつて分校もあったと
HEYANEKOさんからお伺いしていたが
これでは手がかりが見つからない。。。
あきらめてそのまま
川沿いの道をまたひたすら走り出した。
しばらく行くとまた右カーブの右
何か記念碑らしきものがバックミラーに映った。
私は車をUターンさせる。
地面にはコンクリートが打ってある。
もしかして…。
う~ん、学校っぽいけれど。。。
残念ながらここが分校だという証拠はひとつもなかった。
入口の石碑は『点燈記念碑』
昭和31年のものだった。
そういえば別件で色々なことを調べていると
昭和32年の国会に
「串間市の無電話集落に公衆電話設置を~」
という議題が上がっていた。
それはこの日泊まった
一歩くんの叔父の家のある場所のことだった。
(この写真の場所とは別)
串間には古い石碑が多い。
道を走っていると道端に小さな石碑をよく見かける。
海も山も豊かで温暖な地域。
人は古くからこの場所に暮らしていたのだろう。
串間は過疎化が進んでいる。
この赤池小学校の他にも崎田小学校も閉校
大納小学校は休校中だ。
確かに横浜のように
誰でもWelcomeの開放的な街ではないが
(横浜が特殊な街なんだと思いますが)
人が減っていく現状に
私もとても心が痛む。
中々行きにくい場所でもある。
九州自動車道は宮崎をほとんど通らず
宮崎のいちばん南に位置する串間は
空港から下道100kmコースで
汽車の本数も少なければ
空港バスも来ない。
だけど串間はほんとうに美しい場所。
どうかいつまでも美しく
そして一歩くんの帰りを暖かく包んでくれる
ふるさとでありますよう。。。
all photo by Minami Minamkami
※PCの方はクリックで拡大画像がご覧いただけます。
2006/07/18
あの海で
私が港に停めた車の中でひとりで泣いていると
一歩くんから電話がかかってきた。
今からふたり、叔父の家に行こうという。
私は感情が高ぶりすぎて冷静な判断が出来なかった。
果たして一歩くんと今、一緒に居ていいのか、解らなかった。
私の涙は一歩くんを親族席にひとりで立たせたことへの
深い深い断罪なのかもしれない。
一番辛い場所に
結果としてひとりで立たせ
私は涙を流すことも許されず
その場所に居たことへの。
* * * * * *
葬儀の終わりに開けられた棺
宮崎のこの地域では花と一緒に
「別れの杯」を交わす。
焼酎の入ったお猪口にひとくち口をつけ
残りを棺の中へと入れる。
先に親族がその儀式を行うのを
受付で私は手を後ろにしっかりと組んで見ていた。
一歩くんはいつまでも
お父さんの棺の傍から離れない。
涙を流す一歩くんを遠巻きに見ながら
私は自分の手を何度も何度もつねった。
泣いてはいけない、しっかりと見るんだ。
泣かずに一歩くんを見るのが私の務めだから…。
一般参列者のお別れ。
ナイテハイケナイ…
ダケド、イコウ。
私は最後のほうに並んで猪口を受け取った。
順番待ちで並んでいると
親族席に座る一歩くんが私を見る。
私は精一杯背筋を伸ばし
そしてそのまま心を動かさないようにして
しっかりと一歩くんの目を見た。
悲しい顔をした一歩くんを
隣で支えてあげられなくて、ごめんなさい。
順番が来て私は親族に一礼し
それから猪口の焼酎に口をつける。
お父様の左肩の脇に、その残りを流し込む。
ピンクのカーネーションを受け取り
顔の右側にそっと花を入れると
「生きてお会いしたかったです。」という言葉が
心の中に湧き上がった。
一歩くんが左前をしっかりと抱えて
泣きながら霊柩車に棺を入れるのを
私は涙を流さずに見ていた。
鳥海くんは泣いていた。
一歩くんはそのまま親族席に戻らず
私達の前に立った。
喪服の背筋を伸ばし立っている悲しい後姿。
手を差し伸べたい、ほんとうは
あなたの手をしっかりと握りたい…。
一歩くんも振り返り私を黙って見た。
私達は今ここで、言葉を交わしてはいけない。。。
霊柩車の助手席
遺影を抱えた一歩くんのお母様がこちらを見た。
まさか私が一歩くんの妻だとは知らない。
私は深々と頭を下げた。
親族を乗せたバスにも同じように頭を下げ
そのままバスを見送った。
鳥海くんがメシでも食って帰ろうと言ってくれて
私はご飯を食べて、それからとある廃校へと向かった。
* * * * * *
いつの間にかに辿り着いた港で
いつの間にかに泣いていた。
泣いても泣いても涙は止まらない。
流しても流しても
とめどもなく涙が出る。
一歩くんと合流してまた涙を流し
寝静まった親戚の家
私は勝手口から外に出て、涙を流した。
そこはかつての
一歩くんのお爺さんとお婆さんの家。
去年の夏廃墟と化していた家が
今はすっかり綺麗な家になっていた。
復活した五右衛門風呂に
私も入れてもらった。
八丈小島の先生の家の五右衛門風呂を思い出す。
五右衛門風呂の脇
側溝を一枚塞いだ石の上
座り込んで夜空を眺める。
満天の星
虫の声
私は声を上げて涙を流す。
流れ星が流れた。
白昼夢を見た。
月明かり小船のそば
知らないおじさんが私に酒を飲もうという。
私はその笑顔に何故だかとても嬉しくなって
泣き疲れた顔を上げ
布団に入り眠った。
何故そんな不思議なものを見たのか
私には解らなかった。
とうとう私、心が壊れてしまったのか?
だけど眠りはあっという間に
深く深く…。
* * * * * *
昼前に親戚の家をおいとまして
それでもまだ私は、涙を流していた。
もう運転が出来ないほどに
途中の道に車を停めると、そのまま号泣した。
一歩くんが私に
「あの海で散骨をしよう。」と私に言ったのだ。
それを私がして良いのだろうか?
それが私には、わからなかった。
お父様はついに
私達を認める事無くいってしまった。
そんな私の手で
散骨をしても良いのだろうか…。
昨日の朝私ひとりで手を合わせた磯へと向かい
一歩くんは封筒を開いて私に中を見せる。
お父様の骨がほんの少し、その中には入っている。
「骨壷に入りきらなくて」
それで骨の一部を火葬場の人に頼んで分けてもらったという。
一歩くんがバリバリと、お父様の骨を砕く。
「こんなに簡単に砕けちゃうんだな。」
寂しそうに一歩くんがつぶやく。
真夏の宮崎の日差しが強く照りつける。
風が吹き、波は岩に当たり水しぶきを上げる。
岩を積んだだけの堤防の上をふたりで歩く。
堤防は崩れかけ、中にも水が入っている。
潮ぎりぎりのところの岩に立つ。
ふたり乗ればいっぱいの
決して大きくない岩の上。
一歩くんが封筒を破って
粉々になった遺灰を少しだけ手に取り
そっと海に撒いた。
「みなみも撒く?」
私もお父様の遺灰を、受け取った。
青い海、風に乗って
貝殻のかけらようになってしまった一歩くんのお父様の骨が
舞っては吸い込まれる。
私は撒きながら、昨日の白昼夢のことを話す。
「あのおじさんが、お父さんだったらいいのにな。」
「きっとそれは、親父だよ。」
そうしてひとしきり
全ての遺灰を海へと撒くと
一歩くんは買ってきた焼酎を開け
口をつけてから海へと注いだ。
私は、もしあの白昼夢がお父様だったら
私は誘われて嬉しくて
だからお酒を飲みたいと
沢山口をつけて味わって飲んで
それから焼酎を海へと注いだ。
波に濡れた岩の上
ひとつだけ小さな小さな骨が残る。
一歩くんはそこへ
「親父飲め飲め。」と言って
嬉しそうに焼酎を最後の一滴までかけた。
それから私達は並んで海を拝むと
岩の上でただただ抱き合った。
私は一歩くんの頭を抱え
一歩くんは私の背中に手で心音を刻んで
ただただ長いこと、その場で抱き合った。
お父様のほんとうの気持ちは
今となっては一歩くんにも私にも、わからない。
だけど、だからこそ
私達はもっともっと、幸せな夫婦にならなければならない。
私はもっともっと
一歩くんを幸せにしなければ。。。
その後長いこと私達は、あの海に居た。
あの海で、私達はだらだらと色々な話をした。
海水浴や山で日焼けは
この年でもしょっちゅうの私達だが
散骨焼けなんて
それは世の中あまりない経験だろう。
今も腕がひりひりするw
* * * * * *
まだまだやるべきことが沢山ある一歩くんを残し
私は一足先に愛知へと帰ってきた。
今宵は白昼夢の
「あのおじさん」の為に
テーブルにはグラスをひとつ置いてビールを注ぎ
その残りを私は飲んでいる。
現実には私は
一歩くんの望みを叶えてあげることが出来なかった。
一歩くんが大好きなお父様は亡くなり
「親父には認めて貰いたい」という
一歩くんの願いはもう叶わない。
私はものすごく酷いことを
一歩くんにしてしまったのかもしれない。
これからはそのことも肝に銘じて
今まで以上に幸せな家庭を築きましょう。
もっともっと
一歩くんを幸せにしたい。
そして一歩くん
今日は一緒にお父様の散骨をさせてくれてありがとう。
あの海で。
【photo by IPPO Minakami】
*大変支離滅裂な文章になってしまいお詫び申し上げます。
2006/07/17
2006/07/16
身分を偽って
ミナカミ@宮崎です。
携帯からの更新は改行がうまく入らないみたいですがお許しを。
身分を偽り「友人」として参加したお通夜
とりあえず身分はバレませんでした。
半分くらいの親類は私が誰だか知っている中で
「スリリングなお通夜」とは非常に奇妙な体験。
もっとも一歩くんの地元の友人達には昨年の夏に会っているし
普通にその輪に混じって
私は受付の合間におしゃべりをしたりと気楽に過ごせました。
一歩くんのお母様には「鳥海くんの彼女」と勘違いされ…
それはお母様が鳥海くんに言われたことでしたが
後ろに居た一歩くんの兄弟達は、笑いを堪えて居たそうです。
一歩くんは買ったばかりのシングルの細身の黒いスーツに
今日は何故だか髪をオールバックにして
まるで昔、鈴木保奈美が主役のドラマに出ていたときのトヨエツのようでした。
(そのドラマの名前を忘れてしまった…主題歌は尾崎豊の曲でした)
あのドラマのトヨエツがまたかっこよくて…ちょいワルな感じで…。
解ってはいたことですが
一歩くんもご家族も皆張りつめて居ます。
飲み物を取りにいく時に控室で一瞬ふたりきりになり
軽くキスをしましたが、中々ふたりきりにはなれません。
むしろお母様が憔悴しきっているのでもっとそばに着いていなくちゃ。。。
一歩くんを抱きしめてあげたいけれど
それは明日にお預けです。
2006/07/15
旅支度
私も明日朝の便で
宮崎へ旅立つこととなった。
喪服、数珠、黒いヒールとストッキング。
本家に生まれ育ち
葬式を3回出した経験もある為か
私の身支度はあっという間に終わる。
魚の給餌器をセットする。
勿論私は親族として参加することは出来ないが
「受付係」として公に参加出来ることとなった。
先に鳥海くんが手伝うと申し出ていたので
私もそこに混ぜて、とお願いしていたのだ。
どんな形であれ公に参加出来るのは
ありがたいお話だ。
「ごめんね、親族としてでなくて。」
ううん、それは
反対を押し切って結婚をした時点で解っていたこと。
むしろ認めて貰えない妻でごめんなさい。
一歩くん、きっと傍に居て欲しいだろうに…。
だけどそれは解り切っていたこと。
こんなとき、一歩くんはひとりで居なければならない。
それを選んだのは一歩くんで、私なんだから
今はオトコノコになろうね。
一歩くんも私も
きちんとひとりで、お互いの役割を果たそうね。
誰も居ないところで
物陰や暗闇で
イイコイイコするから、だから…
今はオトコノコで居ようね。
そう、それに私はプロの「受付嬢」なんだし(^^ゞ
* * * * * * * * * * * *
宮崎往復の飛行機
シングルルーム2泊
そして2泊3日のレンタカーの予約をした。
東京でOFF会をしている
HEYANEKOさんから電話が掛かってきて
廃屋の猫さん、ウシロさんとも
久しぶりに話をした。
話し声の向こう
HEYANEKOさんの三線が聴こえた。
昨日ブログに書いた
「話納め」「食納め」にまつわるお話もお伺いした。
電話の向こうの東京の居酒屋の賑わいに
ふうっと心が救われた。
さぁさ、私も
お風呂入ってビール飲んで
早く寝よ。
明日、遺影という形で
私は初めて一歩くんのお父様の顔を見る。
一歩くん、お婆様に似ていたから
きっと息子であるお父様と一歩くんは
似ているのだろうな。
お婆様は知っているのだろうか?
老人ホームに居るお婆様。
私に沢山のお話をしてくれた
一歩くんのお婆様。
きっと、知らせていないのだろうな。
お会いしたいけれど
聡明なお婆様だから
お会いしたら悟られてしまう。
どうぞお元気でありますように。
糸
今日も朝10時
昨日と同じ時刻に一歩くんから電話。
「姉貴の話だと、今晩あたり。。。」
「覚悟しといて。」
電話の向こうの一歩くんの
張り詰め切った声。
「今、どこに居るの?」
「病院の外の喫煙所。」
重い空気の沈黙。
「いちば~ん!わんわん歌います。わわわわ~ん♪」
私は意味もなく”津軽海峡冬景色”のイントロ部分を
演歌調のドロドロとした声でわんわんと歌った。
少しだけ、一歩くんが笑った。
「一歩くん、ちゅーっ☆chu!」
声に出して私が言うと
一歩くんも照れくさそうに
「ちゅっ。」と言った。
もう一度私が声に出して言うと
…あ、隣でお兄さんの声が聞こえる…(^^ゞ
それは聞かれたら弟として恥ずかしいだろう
聞こえていませんように。。。
電話の向こう、きっと
ぎりぎりの緊張を続けている一歩くん
一歩くんの家族。
昏睡状態のままの一歩くんのお父さん。
私に出来ることは
一歩くんを少しでも支えることだけ…。
宮崎でも真夏の太陽が照り付けていることだろう。
愛知よりももっともっと強い陽射し。
宮沢賢治は『雨ニモマケズ』の中で
”南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイヒ”
と云っていたけれど
彼岸に向かう気持ちのほんとうのところは
私にはまだよくわからない。
せめてこの暑さが皆の体力を奪わないよう…。
2006/07/14
「締め」または「納め」
朝、一歩くんから連絡があった。
お父さんは現在昏睡状態で
肺炎を併発しているという。
もって、あと2・3日。。。
「葬式にはみなみも来てくれ。」
”そのとき”に間に合ったことは良かったものの
現実はとても重い。
ものすごく久しぶりに宮崎に揃った4兄弟。
今頃苦しさや悲しみだけでなく
近い未来の出来事に翻弄されていることだろう。
* * * * * * * * * * *
「俺が行った次の週
親父とても元気で、いっぱいしゃべってたって兄貴が言ってた。」
あ…。
それは私流に云うところの”しゃべり締め”。
私のふたりの祖母を送り出すとき
同じ体験をした。
父方の祖母は同居をしていた。
あるとき突然昼夜問わずしゃべり続けるようになり
その後ひとことも口をきかなくなってしまった。
母方の祖母の”しゃべり締め”は
こともあろうに私一人が受けてしまった。
私が遠く福井の祖母の病院へひとりお見舞いに行くと
祖母はひたすら話し続けた。
次の日親戚がお見舞いに行くと
もう話さなくなっていた。
本来であれば
「食べ納め」「話納め」という言葉なのかもしれない。
科学では説明の出来ないことだが
私のまわりに居た彼岸へと向かう人は皆
上記のふたつの”儀式”を通過して行った。
父方の祖母はとにかく稲荷寿司が食べたいといった。
母が毎日、稲荷寿司を沢山作っていた。
そうして稲荷寿司を毎日沢山食べた後
ぱたっと食べなくなってしまった。
元夫の祖父は秋の頃にお見舞いに行くと
「苺が食べたい」と言った。
私は仕事帰りの都内と川崎・横浜を血眼に探して
成○石井で輸入物の苺をやっと見つけ出し
お店に売っていたカードにメッセージを添えて
そのまま秋田へと送る手配をした。
お店の方に理由を話すと
次の日に入荷される真新しいものを
痛まないように梱包して送るように手配してくれた。
お爺様は大変喜んで下さって
わざわざ私達の家に自分で電話を掛けて来て下さった。
それが最期の声となってしまった。
元夫は家に居らず、電話は私ひとりが受けた。
11月に入り
やっと店頭に並び始めた国産の苺
義叔父が持っていくともうその頃には手をつけなかった。
12月義祖父は亡くなった。
ひとり残された義祖母がそれでも出棺の日の朝
足元が滑らないようにと
早朝から雪かきをする姿が今でも心に焼きついている。
(秋田では身内のみで通夜→出棺→葬式が慣例)
悲しみを堪え、色々な人を気遣い朝から忙しく動く
きっとそれは、動かないと崩れてしまうから…
その姿は心を打たれる光景だった。
その後お元気にされているのだろうか。。。
話が反れてしまったが
宮崎から帰ってきてからこれを読む一歩くんへ。
一歩くんの写真集をお父様はとても喜んで下さった。
それは本当のことで
一歩くんはきちんとお父様との絆を
深められたんじゃないかと思います。
私はとうとうお会いすることはないけれど
一歩くんの写真集は
写真と文は一歩くん、レイアウトと校正は私
製本は共同作業。
その本をお父様が喜んで下さったのだから
たとえ私と会うことがなくても
それはとても意味のあることだったんじゃないかと思います。
* * * * * * * * * * *
私達は、「私達夫婦」を
一冊の本にしてお父さんに見せました。
元はといえば一歩くんが広州から私に送ってくれたメール。
それをブログに公開し
皆様からの反響を戴いたことで
思いついた「一歩写真集」。
ここに足を運んで下さり
コメントやメール、そして直接お会いした際に
”一歩写真館”にご感想を戴いた皆様。
このブログをご覧戴いている皆様に
改めて心から御礼申し上げたいと思います。
私達夫婦の「些細なこと」は
皆様の後押しのお陰で
水上父子、そして私の
大切な大切な架け橋となりました。
ありがとうございました。
2006/07/13
運命
明後日の宮崎行きに備え
私達はふたり揃って髪を切りに行った。
私は早起きの睡眠不足
一歩くんは仕事が終わって無睡のまま。
RRRRR…。
私が2人分の支払を済ませ
一歩くんが電話を取る。
「うん、うん…。」
「親父が、週末迄持たないかもしれないって。」
え?
電話を掛けてきたのは一歩くんのお姉さん。
現役の看護士だ。
「今すぐ帰ったほうがいい。」
私は飛行機のチケットの手配を始める。
午後2時。
最終便には間に合う。。。
また電話がかかってくる。
呼吸が弱くなっているという。
今日来ないと間に合わないと…。
一歩くんも決断をした。
大急ぎで身支度をし
空港へと急ぐ。
一歩くんをとにかく飛行機へ
あとはただ、祈るばかり。
間に合って欲しい、間に合って欲しい。
お父さん頑張って、待っていて。
「親父に会って欲しい。」
その日をあと二日後に控え、
運命って何て残酷なんだろう。
今はただ、間に合うことを祈っている。
今頃大急ぎ病院へ向かっている一歩くんへ
無事に辿り着けますように。
お父さんに、会えますように。
2006/07/02
一歩くん帰っちくる
一歩くんがふてぇ~土産袋を
いくつも下げて宮崎から帰ってきたっちゃが。
しかも私は瓶入りの紙袋をひっ蹴飛ばしてぇ
大事な飫肥杉一升、空港にぶちまけてしもうた。(T_T)/~~~
あまりのショックで私はしばらく口も聞けんかったw
いろんなこつがあって
こげしてふたり揃って愛知におることが
良かこつやっちゃろかどげか
私にはわからんちゃけど…
じゃけどやっぱり、ふたりでおるって良かねぇ。
家に帰って早速ビールを開けち
おび天をふたりぱくつく。
”おばさんキラー”の一歩くんは
空港のおび天売り場のおばちゃんと仲良くなっちかい
しその実入りのおび天をひとつおまけしてもらっちょった。
さつま揚げとはちょこっつ違う
ふんわりとしたおび天は私も大好物で
一歩くんが宮崎に帰ったとき
これを買って帰っこんかったら許さんちゃがw
ごろごろしちょって座卓の下
一歩くんの足がさわる。
一歩くんの体温を感じる。
いろんなこつがあっちゃけど
こげしてふたりおれば幸せ。
多分人生はいろんなこつの連続やっちゃけど
ふたりでおれば幸せ。
さっ、一歩くん
今週もがんばろかね♪
イントネーションが独特なことばで
私が話すとまだまだ一歩くんに大爆笑されます。
いつの日か、宮崎弁を使いこなせるようになりたいです。
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2006/07/01
宮崎の夜道
先に皆様にご案内です。
本日一歩くんの『広州珍道中3』をUPいたしました。
今回はデートの予行演習?
夜の広州の街と
土産を買いに出掛けた昼の街
そこで見つけたものは…。
妻はお先に大爆笑させていただきました。
どうぞ皆様もご覧下さいませ。
もぉ~どうでもよくなっちゃいますよぉ~。
+ + + + + + + + + + + + +
夜、一歩くんから電話が掛かってきた。
彼が今どういう状況に居るのか定かではないが
私との電話は、外に出て携帯からかけてくる。
薮蚊との格闘
夜の宮崎を歩きながら話する。
「おばあちゃんのところには行けたの?」
「ううん、行けなかったから明日寄ろうかと。。。」
「毎日病院に行っていたの?」
「うん。」
「お父さんの点滴は…。」
「抗がん剤じゃないみたい。」
3月の手術の時点では
転移の話も出ていなかったし
今回の入院も6月16日からの話で
その頃にはまだお父様も自分で歩けたという。
だけど今は歩くことも食べることも
調子が悪いと話すこともままならない。
水を飲むのもやっと。
点滴は抗がん剤ではない。。。
「一歩くん、これからせめて2週間に1度でも、宮崎へ帰ろう。」
「うん…。」
命の期限なんて考えるのは
なんとも言えない気分になるが
冷酷な現実は
「一歩くんがお父さんと過ごす時間は残り僅か」
希望の息吹を見出したくても
その芽を見つけ出すことが出来ない。
探せるものなら探し出したい希望という名の芽。
一歩くんは年の離れた末っ子で
18才で愛知へ行ってしまい
いつまでも子ども扱いされているのか
事の流れをきちんと掌握することすら難しい。
真実はひとつひとつ
自分で確かめるしかない。
一歩くんは真実を知る度に何を思うのだろう。
宮崎の夜道を電話を握り締めて一歩くんは
今何を思うのだろう。
「…お!一歩!」
遠くから声がする。
一歩くんはどうやら
歩きながら鳥海くんの家の前に居たみたいだ。
「今、鳥海とバッタリ会って…」
「もしもしぃ!一歩なんでこんなにテンション高いの?」
鳥海くんが電話を奪っている。
「え~それはねぇ~♪」
明るく言い返してみたけれど
…それは…
一歩くんのテンションが異常に高かったのは強がり。
辛いからそれを隠したくてテンションが上がったの。
ごめん、一歩くん。
ふたりで同じ意見に辿り着いてしまったことは
つまりは、一歩くんの気持ちを
より一層追い詰めてしまったんだね。
「一歩、飲んでくか!」
…鳥海くんも何かを察したみたいだ。
一歩くんは今頃
鳥海くんの家でふたり飲んでいることだろう。
どうぞ一歩くんの心が
少しでも安らぎますように。
そしてお父様の辛いのが
少しでも和らぎますように。
鳥海くん
いつも一歩くんを助けてくれて、ありがとう。
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