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2008/11/30

正月休みの予定 その2

「九州に行く」と
今日の午前中まで言っていた
今度の長い休みの予定、

ここにきて大きく方向転換して
カンボジア→宮崎という可能性が出てきた。

丁度小値賀で懇意にして頂いている
某お父さんからも電話を戴いた。

「4ヶ月ばかし南氷洋に行くから居ない」と。
(南氷洋、というところがすごすぎ)

こりゃ小値賀に行っても楽しみ半減。


とはいえ今からカンボジアに行こうとすると
正月休みに入る前に有給を貰わないと
飛行機が取れない。

まだまだ行き先は微妙だ。

何で急にカンボジアかって
もうずっと前から一度
アンコールワットに行ってみたかったからだ。

たったそれだけの理由だけど
せっかくの円高
一歩くんは正月明けから中国
=休みが取りやすい

私も忙しかった分
年末の休みを貰うことは確定されているし

世の中不況ムードで
来年は一歩くんも年収下がる(笑)し

今が羽の伸ばしどきかな、って。


で、唐突にアンコールワットに行こうと
そんな話になり
さて、どこの空港に降り立てばいいのか
そこから調べるに至り
(プノンペンではなくシェムリアップという空港らしい)

直行便は名古屋からは勿論ない(笑)し

となるとどこで経由するかというと
どうもバンコクになるらしく
そうなると今のこの状況では
(現在バンコク空港閉鎖中)
果たして行けるのか?
 
いかんせんネット上では
今宵は全然確認できない状態。

明日、電話してみよう。

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2008/11/27

手の上にある線

一歩くんが大爆笑する
私の手相がある。

ご承知の通り(?)
私は2回結婚をしているけれど
私の手には結婚線は
1本しかないのだ。

「手相は変わる」
占い師は言うけれど

私の結婚線は今も昔も
変わらず左右にくっきりと太いのが1本
何も変わらない。


「一歩くんは2本あるね。」
私も笑う。

大きな一歩くんの手には
結婚線が左右とも2本ある。

「野球をやっていると皺が増えるんだよ。」
一歩くんが笑う。

「良かったね。一歩くんももう1回オイシイ思いを…(笑)」
私も笑う。

一歩くんは一度
どこでもいいから手相を見る占い師に
私の手相を見せたいらしい。

まるで近頃の某保険会社のCMみたいだ。


手の上にある線つながりで
一歩くんの指紋を見たくなった。

一緒に暮らして5年目だし
基本的には
あんなところやコンナトコロ(笑)まで
みているハズの夫のカラダだけど

今まで指紋なんてまじまじとみたことがなかった。

夫の指紋をまじまじとみて驚いた。

あんなに細くて大きくて
とても指の長い手なのに

指紋はまるでマンガのように丸い(笑)。

ゴツい指の上の
マンガのように渦をまく親指の指紋が
あまりにも可愛くて
私は思わず笑ってしまった。

「じゃぁ、みなみのも見せてみろよ~。」


「え~みなみの指紋って、全部細長いの?」
「そーなのよ。」

私の指紋はなんだか冷たいような(笑)
細長い渦巻きばかり。

その後にたまたまTVで知ったこと。
どうやら民族性と指紋には
関係があるっぽい。
(TVではアラブ系は渦巻がふたつあると言っていた)

一歩くんと私は
日本の東の端と西の端で育ったけれど

つまりは、国内でも全然違う民族なのだろう。
指紋を見る限りでは。
 

ちなみに、私はびっくりするほどに
生命線が短い。

一歩くんは私の結婚線を見ながら言う

「手相なんて当てにならないし。」

一歩くんの手に刻まれた
長い生命線ぐらいは

一緒に居られたらいいなぁと思う。


皆さんは、手相どおりの人生を歩んでいますか。

私みたいに
昔から結婚線は1本しかないのに
 
結婚は2回していたり

結構適当なものでしょう。

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2008/11/24

教室と廊下の掃除

いつもの場所に行ってきた。
 
「忙しいから」と通うことを怠ける間に
銀杏の木はすっかり葉を落としていた。
   
Img_4447

この前来たのは…確か
10月の終わり頃だったのだろうか

ちょうどお祭りの前の日のことだった。
 
ホハレに行こうという約束や
福井のお墓参り
紅葉のせせらぎ街道

普段の秋のお休みにしていたことを
何もしないままに
秋がもう終わろうとしている。

Img_4450
 
そういえば、窓の調子はどうだろう。

今日は誰かと会う約束もなく
また例のスポーツの大会の日のようで
きっと皆居ないだろうし
時間もある。
   
私達は小学校の校舎の中へと
入っていった。
   

Img_4451   
 
直した窓は
何とか持ちこたえてはいるけれど
私達の想像以上に
建物の傷むスピードが早いようで

いつまでこの建物が
今の形で持ち堪えられるのか
正直かなり怪しくなってきた。

窓枠ごと落ちて割れた
窓ガラス部分には塩ビ板をはめ込み
窓枠が落ちる原因となった
窓と額縁の間の隙間を埋めるように
窓枠上のレール凸部分に添木をしたのが

私達が数ヶ月前にしたこと。

そして今。

Img_4452

一歩くんのシルエットのすぐ左の
透明な窓が
上に書いた補修をした窓。

その左側の擦りガラスの窓とのセットの
引き違いの窓なのだが

写真を見て解るとおり
たった数ヶ月で左側の窓に
隙間が出来てしまった。

今、この左側の窓は
私達の施した右側の窓の添え木と
左右の窓をつなぐ鍵で
何とか窓枠に収まっている状態。

外壁も内壁も
このあたりはシロアリにやられているようで
もう本当にぼろぼろだ。
 
このままでは近い将来
またこの窓は、今度は2枚セットで
落ちてしまうのだろう。

そしてこの窓付近から
この校舎は壁面が崩壊するのだろう。


そう思ったら居てもたっても居られなくなって
私はほうきを持ってきて
教室の掃き掃除を始めていた。

一歩くんもほうきを持ってきて
掃き掃除を始めた。

教室側は日当たりも良くグランドに面しているので
建物そのものの痛みは少ないが
天井のペンキが剥がれ落ちていたり
割れた窓ガラスがあったせいか
(※現在は補修済)
落ち葉が落ちていたりする。

窓ガラスは全て直したものの
その後の忙しさで
掃除まで手が回らなかった。

Img_4453

開け易い窓を選んで開け
同じ床の上を何度も何度も
ほうきがけする。

くもの巣を丁寧に取り払い
ほうきがけする。

この場所が使われなくなってからの埃が舞い
完全ではないにせよ床が綺麗になっていく。
 
時間や時代の流れのなかで
無駄な抵抗かもしれないけれど
掃除をすることで1日でも
この建物の寿命が延びるのならば
私達は綺麗にしたい

私達はこの校舎の半分の教室と
全部の廊下、そして土間を掃き掃除した。

廊下はすでに3度目の掃除なので
くもの巣はかかれど
埃の量は少なかった。


Img_4456

気づいたら2時間近い時間が経過し
太陽はとうに西に傾いていた。

気温7度の場所で
私達は汗を流しおなかを空かせるほどに
動いていた。

「次は拭き掃除だね。モップ持ってきたほうがいいかな。」
「モップあったよ、給食室に。」

それよりも根本的にあの窓を
例えば窓枠の下に角材の補強を入れたり
そういうことで何とか崩壊を
間逃れる道はないのだろうか。

左側の窓枠に添え木をすることはたやすく
また実際に私達の直した窓以外にも
この校舎の窓枠には同じ手法での直しが入ったものが
いくつかあるが
今回はそれでは持たない。

「もう個人レベルでは難しいのかもしれない。」

美しい木造校舎の風景が
いつまでもそこにあって欲しいけれど…。


かつての中学校の校舎は
残念ながらいつか屋根を支えきれなくなって
倒壊するのだろう。
それは明らかに構造上からくる建物の歪みで
既に個人レベルでないことはわかっていた。
   
けれどももしかしてこのふたつの校舎

建物として壊れてしまうのは
小学校のほうが先なのかもしれない。

そんなかなしい予感がした
秋の終わりの夕暮れだった。


この美しい木造校舎を
例えば保存をしたり
活用するという動きがあれば
この校舎の運命も変わるのだろうけれど

当ブログを以前からご覧の方には
ご承知の通り
この場所はダムの計画地であることもあり
そういう話は出ないみたいだ。

丁度夜中、徳山村のドキュメンタリー
『約束』が再放送されていたけれど
ダム計画地であるために地場産業が育たない、
結果過疎化が進む、
 
「ダムに振り回された40年だった。」

春の頃、出会って間もない
あのスポーツのチームの長老さんが
そういっていた意味

たとえばこんなところにもつながっている。
 
 
各地で過疎化と合理化が進み
閉校する小学校も後を絶たないけれど
それでもやはり、小学校は
地域のランドマークだと思う。
 
この小学校は
校舎こそ今は使っていないけれど
グランドや法面の芝刈りは
マメに施されている。
それは私たちも知っている地元の方々が
そういう作業を自分達でされているから。

勿論スポーツの練習をするためにというのもあるけれど
それだけでは広い学校を
あそこまで綺麗に保てないだろう。
 
 
今の気持ちをうまく表現できないけれど…

色々なことがあるにせよ
出来れば未来まで
あの場所にあの校舎が建っていて欲しい。

綺麗なままで。

綺麗に芝刈りされたグランドには
あの校舎が似合う。

私達に出来ることって、何だろう。


     *     *     *     *     *     *     *

そういえばこの前
おとうさんとおかあさんの家に行った時

ダム関係の人が家を見に来た
と言っていた。

それは引越しの際どれだけ費用がかかるか
見積もりをする為に
どれだけの持ち物があるか調査をするそうで
何年かに一回
こんな調査が入るのだという。

具体化しなければ良いが。

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2008/11/17

家族

この週末は私側の家族、といえばいいのだろうか
全13人が紅葉美しい箱根に集結して
コテージで飲み会、というイベントだった。

一歩くんと私だけが
首都圏から離れた愛知に住んでいて
また一歩くんが広州に行っていたりもあって
中々この年イチ行事に参加出来なかった。
今年初参加だ。

他にも初参加が3人居た。
義妹の姉と
今まで事実婚だった姉夫婦が
先日入籍したことで家族になった
義兄の先妻との子ども達。

私も初めて叔母さんになり
父母はジジババとなった。
けれども姉夫婦はとても年齢が離れていて
新しい姪と義妹が同い年という
もう誰が親で子で孫なんだか
全然ワカンナイ素敵な家族。

今回はこの、私達夫婦以外の初参加3人+義妹の
20代女子4人がスパークして
おじさん達たじたじ(笑)の楽しい一夜だった。

何人も初顔合わせが居る中で
誰もがなじみ、打ち解け
馬鹿なことをいいまくっていた。


この、「家族」というのはつまりは
私の兄弟3人が結婚をしたことで家族となった
そういう人たち3世代の集まりで

たとえば本当は
私が一歩くんのご家族に認められたヨメならば
一歩くんのお母さんやご兄弟を
ご招待出来る訳だけどご周知(?)の通り
「バツ1だから」「都会人だから」という理由で
いまだ一歩くんの生家の敷居を跨いだ事もなく
認められないままで。
 
この件についてはかれこれ4年半の日々が過ぎ
一歩くんの父の死という大きな出来事も経た上で
それで一歩くんが良いのなら
私もそれでいいと思っている。

けれどこんなとき
一歩くんはどんなことを思っているのだろう?
私の両親や兄弟やその連れ合い
さらにその両親や兄弟や子どもと
大人数で集まって
自家製のおでんまで大量に車に積んできて
離れのコテージで夜中までバカ騒ぎして
数々の珍事件にまたまた大爆笑し…

もちろん一歩くんもこの
ちょっと風変わりで底抜けに明るい家族の一員で
彼の心も曇りなく家族の一員になっている。

だけどふと、考えてしまう。
きっと私はいつまでも、ふと考えるのだろう。

「家族」って、何なのだろう。
   
「家族だから当たり前」なんて
本当は世の中には存在しないのかもしれない。

家族だからこそ歩み寄らなければ
難しいこともあるのだろう。
 

箱根とは思えないほどの静かな湖畔を歩き
紅葉を眺めては

一歩くんに寂しい思いもさせているのだろうけれど
うるさいほどに(?)一歩くんの周りで
そりゃ皆が色々なことはあっただろうけれど
その上で明るく楽しく騒いでいる

そういう家族のあることのありがたみや
もうひとつの「家族」が

こんなにくどくなくても(笑)
もう少し歩み寄れたらいいのになぁ、と
ぼんやりと思った。
   
家族の強い光を受けた1泊2日だった。

     *     *     *     *     *     *     * 

帰り際父から
「正月は帰ってくるのか?」
と訊かれた。

一歩くんは一年前からの
郷里での同窓会の約束がある。

私達は答えを先延ばしにしていた。

夏の暑い頃
「一歩くんはひとりで宮崎に帰って楽しんできて。
私は愛知でのんびり寝正月でもしようかな。」
私は、なんとなくそんなことを言っていた。

一歩くんが一歩くんのペースで
宮崎での正月を過ごすのに
私がついていくと私がしんどくなる。

私に気を遣うと一歩くんは
郷里に帰るのでありながら実家には帰れない。

私は、
「一歩くんは帰らない、私は帰るかも。」
と父に答えた。

父はそれ以上何も訊かないでくれた。
   

片方の「家」では夫婦で
片方の「家」では愛人のような関係なのが
残念ながら私達の現在まで続く現実なのだから、
私達は行動面でもきっぱりと割り切って
私は行かないべきなんじゃないかと

正直、カビの生えまくったユニットバスが気になる
ビジネスホテルで一歩くんを待つだけの
その数日間が私には精神的にしんどいと

選ぶほど宿はないし
 
今回はそういう道を選ぼうかと
私は思っていた。


「ん~父さんに早々訊かれちゃったけど…。」

「……一緒に九州を回りますか?」
言葉少なに、一歩くんが答えた。

…結局私は、また一歩くんに
気を遣わせてしまったのだろうか?

それとも私が気遣っているのだろうか。

ともあれ次の正月は
宮崎に行くことに決まった。


宮崎に行くと私と一歩くんは
一緒に行動できないほうが多かった。

一歩くんは親兄弟の説得に奔走し
私は海や山を彷徨う、
お父さんが亡くなり
私は友人と偽り受付をする。
 
新盆だけど飛行機が取れなくて
ふたりロングドライブをし
一歩くんを生家まで送って帰る。
 
一歩くんのふるさとだけど
私は長い時間、一歩くんのふるさとで
ひとりでいた。

一歩くんの友人たちも
かなり気遣ってくれたけど
正直自分で気力を振り絞らないと
だめなぐらいにしんどかった。


今度こそ、そういうしんどい思い出を
払拭できるのだろうか。

私がしんどくなくなるのは
結果的に彼の親子関係を
さらにいっそう悪くさせてしまうことなのだろうか。

私がしんどくなくなる分
一歩くんがしんどくなってしまうのだろうか。


私が行かないでおこうと思ったのは
逃げだったのだろうか。

私がこういう関係であることも踏まえた上で
もっと強くなるべき

なのだろうか。

 
「え~じゃぁ、小値賀の島さんとこでも1泊するかぁ~。」

久しぶりの九州に夢膨らむのと裏腹に
どこか戸惑う私が居る。

     *     *     *     *     *     *     *


夜、愛知に戻り
自宅に1本の電話が掛かってきた。

それは友人のお母様からで
私達の気持ちは
同じ家族を想うという観点の中で
大きく振れた。

お父さんが危ない、けれども
息子と連絡がつかない

居場所を知らないか?
という内容だった。
 

一歩くんは気が動転して頭が真っ白になってしまい
本当は知っていたはずの彼の今日の動きを
すっかり忘れてしまった。

私は
「○○さんのところには居ないの?」
「○○○に訊いてみれば?」
「事がコトなんだし。」
と一生懸命一歩くんに言い続けた。

お母様の電話から
何とか10分くらいで居場所を探し当てた。
その後彼は道中一旦ウチに寄り
携帯を忘れていたのでウチの電話を使った。
お母様の携帯が着歴に残っていたのが
役に立った。


郷里の遠い彼だから
道中長いだろうし
休日出勤だったからご飯も食べていないだろうし
私も動転したままとにかく
今朝箱根から持って帰ってきた
箱に入ったドーナツやパンをそのまま渡した。

かなりがさつだったけど
ほんの少しの時間の間に出来ることは
そのくらいしかなかった。

なんとなくふたりとも寝付けなかった。
 

明け方、お父様が亡くなったというメールが入った。
それは多分、今朝の一歩くんの出勤時間に合わせて
気を遣ってくれたような時間だった。

「この文面だと…間に合わなかったのかな。」
一歩くんが読むなり寂しそうに、言った。

いつもなら眠くて眠くて仕方のない
この時間の一歩くんの出勤だけど
今日は朝からふたりでしんみりとした。

私も一度お会いしたけれど
例えていうならば北の○からの黒○五郎のような
とても素朴で素敵なお人柄のお父様で

なんというか、まだことばがみつからない。

一家をしっかりと切り盛りしながらも
とても可愛らしい彼のお母様も
とてもお辛いことだろう。
 

家族が増えることもあれば
こんなふうにかけがえのない人が
居なくなるのも世の常

だけど…
やっぱりそれはとてつもなくかなしいことだ。
  
一昨日寿の袋に筆ペンで名前を書いたのに
その二日後に不祝儀袋に名前を書いている

「気分じゃない」
一歩くんは昨日買ってきた箱根土産を
会社に持っていくのを辞めた。
 
2日間の間に起きた「家族」の出来事に

少し私達は混乱しているみたいです。

   

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2008/11/12

国境とかは関係ないのだ。

次の一歩くんとの別居生活が決まった。
まだ正式に彼に何らかの
そういう話が来た訳ではないけれど
次のリストに彼が載っている。

そのことを教えてくれたのは
日本に研修に来ている
中国での一歩くんの職場と
同じ職場で働くひとからだった。

この週末
我が家で鍋パーティをした
そのときのこと。

「そういえば水上さん、1月から広州だね。」
「えっ?」
「えっ、そうなの一歩くん。」
 
長い日本での研修で覚えた流暢な日本語で
彼は教えてくれた。


楽しい週末だった。
広州から来た(出身は別だけど)彼には
というか多分そもそも中国には
"コタツ"という物体は存在せず
彼は我が家の6畳和室に鎮座する
大きなコタツに戸惑っていた。

「漫画で見たことがある。」
「日本の漫画読んでるの?」
「へぇ~そーなんだぁー。」

ちょっとした違いに私たちも
きっと彼も、面白かった。

バカ騒ぎした週末だった。
私は中国式の"乾杯"
(字の如く"乾杯"しなければならない)で
すっかり記憶を飛ばし
後からやってきた一歩くんの日本の
若くてかわいい後輩君を押さえつけ
顔に我が家採れたての
ハバネロを塗るという暴君になったらしく…(大汗)。
 
けどこういう私のバカっぷりも
中国の彼にはOKということを後から聞いた。

彼も結婚をしていて
結婚する前は奥様は私のような
こんなバカキャラだったのに今は違う。
日本の奥さんは優しいと。

私は言った。

「日本だって一緒だよ、
結婚したら奥さんは厳しいよ」と。。。 

くだらないかもしれないけれど
私には、夫の時々暮らす中国と
日本の国境がまたひとつ
低くなった瞬間だった。
 

結局、人なんてその人次第。
言葉とか、文化の違いはあれど
その人次第。

一歩くんが時々暮らすのは
確かに異国だけど
何もかわらないような気がした。

またそういう中でもきっと
わが夫は日本と何も変わらない
人間関係を築いているのだと

もちろん、うちに遊びに来た彼も
国境を越えてリベラルな
そういうひとであるということもあり

そしてうちのだんなも
そういうひとであり

私もそういうひとであるのかもしれないと、思った。
 

パスポートがないと行けないから
ビザがないと長期滞在できないから

なんとなく遠く感じていた
別離の距離も今はさらに縮まった。

一緒にいる毎日が当たり前じゃない
その当たり前じゃない別離の時間も
3年かけて夫婦なりに
うまい間合いの取り方を学んだり
そういうことからもうひとつ先のことを
学び始めているような

この段階での次のこと。


何にも変わらないよ、日本人だって
毎日愚痴る夫婦だって多くて

私は冷たいひとだから
「そんなに文句があるなら別れればいいじゃん。」
とはっきり言うけれど誰も離婚なんてしない。

結局それって、刺激がほしいだけ。
 
私たちは一緒にいるのが当たり前じゃない
毎日を送っているから
一緒にいる毎日が刺激的なだけ。

多分、客観的に。


一歩くんとのこんな日常が
もう少しで終わると知った後の平日

私は自宅での仕事の合間を縫って
鍋好きの一歩くんの為に
新たに鍋用のおかずを作った。

丁寧に包丁で叩いて作った
いわしのつみれは一歩くんの大好物。
(フードプロセッサで作るのとは全然違う)

残っていたひき肉と沢山の野菜で
冷え込み始めた夜のキッチンで
具沢山の餃子を包んで冷凍した。

うん、これで
週末まで鍋が続いても大丈夫( ̄ー+ ̄)
(そうじゃないか)


お互いひとり暮らしの頃からひとり暮らしのくせに
自宅でひとり鍋を平気でしていた私たちだから
寒くなり始めると毎日が鍋三昧

冬は玄関に「水上部屋」と掲げたいぐらいの
鍋の食べ方で
早々とコタツを出してはカセットコンロを置き
ひざのぶつかるコタツで
鍋をつつくのがふたりで過ごす冬

この冬は年内で終わりか
もしかして3月につつくのか


期限がついて私は
いつものように
いつも以上にこの日々を
愛おしく感じながら暮らしている。

忙しくともソコだけは外さない(笑)。

けど近頃、国境はあまり感じない。

パスポート持っていかなければ行けない広州よりも
遠い日本も沢山あることも知った。

それと、どこに暮らそうと
結局はパーソナリティの問題なんだって
そんなことも感じ始めている。

三河に引っ越したばかりの頃
中々この土地になじめない部分もあって
私は三河人にどうやったらなれるのだろうと
浅はかなことも思ったけれど

今は横浜に暮らした頃以上に
地球人だと思っている。

話が酔っ払いの会話のように
どんどん飛んでいくけれど

つまりは、一歩くんと私の関係とか
私たちとの関係というところには

国境は関係ないのだ、多分。

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2008/11/04

振り回しているつもりはない

振り回している、つもりはない(怒)。


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すんません、近頃こんなんばっかで。

ネタはあるのですが
今はまだ
どっぷりと腰を下ろして書けません。

申し訳ないです。

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